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森林公園管理棟前  昭和57年3月建立 揮毫者 書家 佐々木心華

 

 

 「伊香保ろの 阻の榛原 わが衣に~」

 「伊香保ろの 阻の榛原 ねもころに~」

似た表現の歌が二つあり、よく間違えやすい。

 

このふたつにさらに似た次の類似品もあります。

 

             伊波保ろの阻の若松限りとや

                    君が来まさぬ心(うら)もとなくも

 

 

 

「榛原(ハリハラ)」とう言葉は、榛名山、榛名神社、榛東(しんとう)村などの表現とと もに、「榛」の字がこの一帯の大事なキーワードになっています。

 榛名の地名が、墾原、墾野からきているという考えは有力です。

 東歌中にも「墾(ハ)り道」(3399)「墾(ハ)りし道」(3447)の例があり、ハリは 墾、焼畑の開墾地のこと。

 墾(カ)り野をカノ(火野)とも言い、今日の狩野・鹿野・閑野・神農原などの地名は、 近世まで数年おきに焼畑の繰り返されていた土地とも言われています。

 「榛」は山野に自生するカバノキ科の落葉喬木。 榛ノ木(ハンノキ)は染色原料にもなることから B の解釈がなりたつ。

 山ぞいの原を焼き払っての開墾にあけくれ、来る日も来る日も紫外線にやかれ、火山灰土 にまみれていた若き農民が、とぎれがちになっている妻訪いを思い、共寝の交情を願望して せつなく燃えてくるままに、愛人・妻のもとへ心寄り着きひかれている歌謡でしょう。

                                                                                             樋口秀次郎『榛名山と万葉集』より

 

【余話】焼畑耕作の「グルリ一升、猫足三本」

 

 ことわざは、それを支持する集団によって生まれ、育てられ、また消える。地域によって違うし、職業集団ごとに特殊なもののあることは当然である。

 たとえばそれが、ごくくだらないように見えても、かつて大きな意味を果たしてきたとすれば、これを採集して記録し、保存して国民の知識としておかなければならない。

 「グルリ一升、猫足三本」などもそのひとつであろう。

 これは焼畑耕作の技術に関するものだ。焼畑は、今や日本の各地から姿を消しつつある。全く絶滅してしまったところが多い。が、かつて広く行われ、低い生産性ながら、これに携わってきた農民も多かったのである。

 群馬県内の一部でも、これが近年まで行われていた。八月初旬の乾燥したころ——七日ビといって八月七日をめどにして、傾斜地の草木を刈って乾かし、これに火をつける。サガリ火といって、上方から下方に向かって燃してゆく。灰は肥料となる。ごくかんたんに耕作し、そこにソバやヒエなどを捲く。覆土などもごく簡単だ。

 そのソバを播くこつが上のことわざなのである。すなわち、足場のよい一所に立って種を適当にばらまく。播きながらグルリ一周すると、ちょうど一升終わるくらいがよい。その生えたのをみて、猫の足くらいのところに三本生えていれば、それは上手な播き方だというのである。

 

             都丸十九一『上州ことわざ風土記』上毛新聞社より

 

【企画・制作】 Hoshino Parsons Project

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