この歌だけは、なぜか三カ所に歌碑があります。
伊香保神社境内の歌碑。
水沢観音、駐車場の東の碑
水沢観音西の山側の碑
「八尺のゐでに立つ虹の」場所は、諸説ありながらも、かなり特定されているようです。
水沢のあたりに八坂の塔の跡があったり、井出野という地名も残っていることから水沢周辺とみ るか 、上野国神名帳に有馬渠口明神、有馬堰口御鍬明神のみえることから有馬付近とみるか 。
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歌垣 ー カガヒー 掛け合い ー 呼び合い ー 夜ばい
古代歌謡など万葉集などのもとになっている歌垣は、時代によって、地域によって様々な姿をもつので、簡単には説明しがたい面があります。
研究者の表現によれば、以下のようになります。
「歌垣は飲食・歌舞・性的解放を基本的な内容とする集団的行事であるが、そのあり方は春山入りの中で花見・国見と結合したり、神祭りと結合したりして行われるものもあれば、独立して行われるものもあり、さらには歌舞だけが独立したものもある」土橋筧『古代歌謡と儀礼の研究』岩波書店
専門家による中国の婚俗の報告や与論島の報告などから、古代日本の特殊なことがらではなく、一般的な習俗としての分布が想像されます。
その特徴を土橋筧氏は次のようにまとめてます。
注意される点は、第一に女の方からまず歌って男を誘い、男は女の歌を受け取って答える方法であり、第二に歌の掛合いの中で相手を見つけ、まず意思表示をするのは女の方であること。
第三に女の意思表示を受けた男が女の前に近づいて二尺ばかり隔てて立つと、女は相手の名を問い、男は住所・姓氏を答えること。
第四にその次に女が相手の手をとって坐らせ、お互いに向かい合って、膝をくっつけて坐ること。その後にまた男女互いに歌を唱和して一日を遊び暮らすわけであるが、第五に日が暮れると、一組になった男女が、それぞれどこかへ消えて行き、一夜を明かすこと。
第六、翌朝二人は女の家に行って本式に婚約し、贈物を納める。
性的行事が作物の豊穣をもたらすための呪術的な意味をもつことは、近代までの農村習俗のなかでもみられるものです。
このことは、歌垣ー呼び合いー夜ばい、といったことがらが、決して古代の特殊な習慣ではなく、農作物の豊穣と人間の命の謳歌が一体のものとして、つい最近まで綿々と受け継がれてきていたことにあらためて気づかされます。
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