上毛野の国の伊香保の沼に生えているコナギの種をとってくるけれど、
そのコナギの種というわけではないが、こんなに恋こがれようと思って
恋の種を求めたのであろうか(あの人が恋しいことよ)。
湯元飲泉所 昭和57年3月建立 揮毫者 書家 佐々木心華
「伊香保の沼」に植え水葱?
多くの解説書では、あたりまえのように榛名湖畔の湿地をイメージしていますが、土屋文明は榛名湖畔ときめつけるより、榛名山麓の沼地に植えられた葱とみるのが自然ではないかといってます。
樋口秀次郎はこのコナギについて、実際に伊香保沼にコナギが自生していることから歌いこまれたとみるよりは、歌謡構成から歌いこまれた想像的なコナギの存在とみることができそうです。
コナギ - 恋、 コナギの種 - 恋の種 - 愛人といった歌謡構成でしょう。
樋口秀次郎『榛名山と万葉集』より
それでもこの歌の碑の場所を考えるなら、当然榛名湖畔であると思われるのですが、
なぜか伊香保温泉の奧の源泉飲泉所の横にあります。
温泉地の有力者同士が歌碑の場所決めをするときに、ジャンケンでもして決めたのでしょうか。
ナギ、コナギ
「ナギ類はネギと似た味がするので、水葱の字をあてる(『新日本植物図鑑』)。
現在は水田の雑草だが、万葉時代には栽培もされており、水葱と書かれたものが「平城京木簡」にもある。また、三四束の水葱種を六八文で購入したと書かれた木簡も出土しているのは、御園での播種用に購入したものだろう。水葱を吸いものにしたことを詠んだ歌も『万葉集』にある。
醤酢(ひしおす)に 蒜(ひる)搗き合(か)てて鯛願ふ 吾にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)
コナギもナギもミズアオイで、形の大小をいうだけであるとする説もあったが、ナギはミズアオイの古名で、コナギはミズアオイ科の小型で別な種類とする説が通説になっている。しかし、『延喜内膳式』の秋菜漬料の条によると、ナギは塩漬けに、コナギは糟漬けに調理するとあるが、その材料を供給する「供奉雑菜」や「耕種園圃」の項には、ナギだけでコナギの記述はないので、当時は同種と理解していたようである。
いずれにしても、ナギは田に生える水草である。コナギの花は染料にもしたらしく、コナギの花を衣に刷る、と表現する歌がある。
苗代の 子水葱(こなぎ)が花を衣に刷り 馴るるまにまにあぜか悲しけ
東歌(巻14−3576)」
廣野 卓 著 『食の万葉集 古代の食生活を科学する』中公新書より
ちなみに、この3415からはじまり3418までの4首は、水に寄せる植物の歌としてのまとまりとなっています。
上つ毛野 可保夜が沼の いは つら 引かばぬれつつ 我をな絶えそ 3416
上つ毛野 伊奈良の沼の 大藺草 外に見しよは 今こそまされ 3417
上つ毛野 佐野田の苗の 群苗に 事は定めつ 今はいかにせも 3418
枕詞のようになった「伊香保の沼」
東歌では、東海道の足柄箱根と筑波山、東山道の碓氷坂と伊香保嶺などの地名が誇らかに歌いあげられ、それが歌枕のようになっていますが、掛かる言葉が定まっているとはいえないので正式に枕詞であるとは定義されません。
ほかに3240の長歌で「伊香胡山」などの表現もありますが、どちらも「いかにか」や「い掻く(振り動かす)」などの同音をよびおこす言葉になっています。
伊香保嶺は、歌われている数が多いばかりでなく、頭に上毛野の言葉がさらにつくことからも、その地への思い入れの強さを感じさせられます。
そして「伊香保の沼」は、中世には以下のような蒼々たる都人たちに歌い継がれています。
から衣かかるいかほの沼水にけふは玉ぬぐあやめをぞ引く 藤原定家
真菰生う伊香保の沼のいか計り浪越えぬらん梅雨の頃 順徳院
かげくらきいかほの沼の夏草の霞のみきはに草そやとれる 俊成女
伊香保のやいかほの沼のいかにして恋しき人をいま一目みむ 拾違集
おそらく、遠い都人たちにとっては、伊香保の沼が山上の榛名湖であるか、山麓の沼であるかなどはまったく関知せず、東国の万葉の表現への強い憧れのような思いがなにかあったのでしょう。
【企画・制作】 Hoshino Parsons Project